メディアの生前譲位

ネットに関することはあえて書かないようにしているのだが、厳密にはネットの話ではないのでまあいいか。
gendai.ismedia.jp
さやわかさんが、流行語大賞について疑義を呈している。大体あっていると思うのだが。

選考委員は、鳥越氏はともかくとして、姜尚中俵万智室井滋やくみつる箭内道彦らである。政治信条の偏りを問う前に、そもそも彼らに現代のことがわかっていると言えるのだろうか。「PPAP」やら「聖地巡礼」のことを、どこまで評価できるのか。
かといって、では誰であれば今の社会全体を語るのにふさわしいとも言えない。
ならば、一般からの多数決で決めればいいという人もいるだろう。そういう意見が出てくるのは非常に理解できる。世論がバラバラでまとまりきらなくなった結果、投票によって白黒つけてしまおうという発想は、他ならぬ政治の世界で着々と進行しているからだ。

流行語を多数決で選ぶのはネット流行語大賞そのものだろう。
getnews.jp
でも私はこのような選定は多数決という意思決定システムには馴染まないと昔から思っていた。これは特定の個(若しくは数人)が選ぶから意味があるのであり、*1多数決では「何故今年の流行語はこれなのか?」という明確な答えが出せないからだ。流行は空気が作るものだが、分析まで空気が出来るわけがないだろう。
また、大体の場合、流行語の発生とその伝播にはタイムラグがあり、今の流行語大賞は、よく言われるようにその年の流行した事象であって「ことば」ではないと思う。多数決によって選ばれる所謂レイトマジョリティ層まで伝播した「ことば」が、流行語大賞になるのであれば、選ばれたその瞬間の時点で既に陳腐化しているのは当然であり、だから、流行語大賞に選ばれたギャグは一発屋になってしまうのである。もう時代遅れだから。でもそれは流行であって流行語ではないのではないか?とも思う。
TVを中心とするマスメディア内にはもうこのようなことを分析できる人材が枯渇したから納得できない人が増えた、のだろう。
閑話休題
getnews.jp

自由国民社さんのユーキャン新語・流行語大賞の受賞ワードを見てみると、テレビメディアでよく取り上げられていたものが並んでいます。極端な話、ユーキャン新語・流行語大賞
「TV流行語大賞
であると言っても良いと思います。もしくは「TVメディアへの接触が多い人達を中心に据えた賞」という言い方もできます。
(中略)
テレビメディアでよく出てきた言葉を中心としたノミネートであれば、そういう人たちにとっては違和感がある内容となります。その逆もそうでしょう。ネット流行語大賞にノミネートされた言葉を見て、違和感を感じる人達もいると思います。

これは違う見方をすると、マスメディアの影響力が相対的に落ちているということになる。そんなの今更言われなくてもわかってるよ!という人も多いだろうが、実際さやわかさんも言っているように今の流行語大賞にスポーツや政治関係が多いのは、要するにニュースしか流行の発信源にならず、ドラマやバラエティの影響力が低くなっていることを表す。結局ニュースはネットでも見れるわけで、ぎりぎりネットだけ見る人がついていける話題がこの程度、ということになる。
togetter.com
昨今話題の「TOKYO MXに圧力がー。」という話題だが、私はこれは五社協定の時代と変わらないんじゃないか、というコメントが気になった。


五社協定というのは、当時メディアの王様だった映画会社間の協定であるが、結果として、映画というメディアの凋落を招き、TVがその座に着くことになった。で、そうやって王座についたTVメディアも徐々に時がたち、割と古くからあったTV局単位*2での圧力みたいなものではなく、TVメディア全体の「協定」としかいいようのないものが出来上がり、しかもそのデメリットがネットのおかげで世間一般に広く知られるようになったのが「今」ということになる。しかしここまで表面化するようだと、SMAPを例に出すまでもなく、業界内輪内の論理が通用しなくなっていることの表れなので、実際問題として圧力はなくなっていくのだろう。本当にTVは駄目になっていくのかもしれない。なんだかんだいって、今までネットはTVを補完する二次的メディアだったのだが、そろそろ本当に逆転するのかも。
「PPAP」がYouTube発というのはその事象を示す嚆矢なのかな。
流石にそれは言いすぎか。

*1:組織票の問題はさておいたとしても

*2:例えばナペプロと日テレとか