コント55号における浅草軽演劇の名残

コント55号の特番を録画だけしてたんだが今頃見た。
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結成50年とはいえ、何故この時期にやったのか不明だ。コント55号は1人でやるものではないからだ。前半部分はどちらかというとかつての傑作選というか、実際にはテレビ局に状態の良い映像が残っているものを放映したという感じだろう。
これは殆どアドリブだそうだがさもありなん。実際筋という筋はあってないようなものであり、反射神経で笑わせるものだろう。コントとは台本がないものだと欽ちゃんが言っていたが、それはまあ台本通りにやるコントはないって意味であり、最初の設定と大まかな筋はあったはずである。実際座付の作家はいたようだし。
とはいえ本質はアドリブに頼ったコントなのであって、舞台ならともかく常に安定した品質が求められるテレビには全く向いてない。テレビでは同じコントを一切やらないというのは録画が発達した今ならまだわかるが当時としては信じられない話である。そもそも笑いと安定は相反する概念なのであるが、テレビと笑いが噛み合わないものだと見抜いていたからなのだろうが、そのためコント55号がコントをやっていた期間はひどく短い。でもまー今でも長いことテレビでコントをやる人なんか滅多にいないよな。
今でも笑えるのは言葉で説明するんじゃなくて、動きで笑わせるからだろう。言葉だとどうしても時代背景とかがあってわからない内容が増えてくるんだけど、動きの滑稽さなら特に時代は変わらんよな。これはサイレント時代のコメディが今でも笑えるものが多いのに通じる。道化の面白さだね。

後半はワークショップ、だなこれ。
本来の目的は帽子屋など映像が残ってないコントの再現だったんだろうけど、欽ちゃんによる浅草軽演劇の再現になってしまっている。そのため内容のレベルが変わってしまい、正解のない欽ちゃんの突っ込みをうけて右往左往する出演者が面白い。ただ、これは観客の反応を見て、突っ込みの内容をかえているのであり、だから正解がない。
また当時の再現を目的にしちゃっているので動きで笑わせるところに執拗に拘るものになっており、これはエノケンからの伝統だろうな。この手の伝統は先にも述べたように大本をたどると、アメリカのサイレント映画なのだろうが、その辺の背景まで説明なしにやっているので、出演者としては何がなんだかわからない、ということなんだろうな。劇団ひとりはそれに気づいたのか一番求めている内容に沿った演劇をやろうとしていたな。きっと彼は頭がいい。
しかし本来の目的のコント再現はあっさりシャットダウンされ、なんか数分しかやってなかったんじゃないか。これは、例えば、帽子屋コントは路上で帽子を売るところからスタートなのだが、もはや殆どそんな商売はなくなってしまっているといってよい。そういうコントの前提そのものがもう時代に合わなくなってきているので、今やることじゃない、と判断したのかそうじゃないのかはわからないが、勘で見切ってしまったのだろう。単に長丁場で疲れてしまっただけなのかもしれないが。