微妙な観光名所が多い茨城のイメージ

書いてなかったけど、10月に茨城を少し回ったのである。その記録。
前回行ったのは多分大洗かな。
fake-jizo.hatenablog.com

その前に...

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成田空港で待ち合わせだったのだが、スカイライナーも空港もガラガラである。特に国際線は本当に人がいない。


果たしてこんな状況で何ヶ月持つのだろうか…と思ったが、微妙に状況悪化してる今では、もっとひどいのかもしれない。
成田市は空港で成り立っていると言っても過言ではないわけで、ホテルとかもきっとガラガラなのだろう。これは来年ひどいことになるだろうなあ、と直感した。今も回復する見込みないよね…。

牛久大仏

初めて行った。常磐道東北道?から見えるので気にはなっていた、が、いく用事がなかったので。
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近くから見ると、とても巨大である。
しかし、内部に入ってみると、そうでもない。特に展望台は意外と低い。
daibutu.net
これは展望台の位置に問題がある。てっきり顔の位置だと思ったら、胸の位置なのである。なので、85mであり、東京タワーよりも全然低い。周りに何にもないってのもあるが、若干拍子抜けする感じである。あまりにイマイチだったのか、今見たら、中で撮った写真一枚もなかった(笑)。
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あ、猿回しは面白かった。実はこれも初めて見た。

牛久ワイナリー

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www.oenon.jp
牛久市のど真ん中にあるワイナリー。牛久市自体も勿論初めて行ったのだが、綺麗な区割りの街であり、あまり古い街ではないんだろうな、とは思う。札幌が典型例だけど、こういうのって大体明治以降にできた街だよね。なので、少し街に歴史がない印象を受ける。まーそんなんだからワイナリーが出来たとも言えるけど。都市の真ん中に普通ワイナリーってないよな。郊外のイメージ。

今マップを見てもそのイメージは変わらない。なんか郊外の団地っぽい気がする。普通郊外の団地といえば、山を切り開いたところなので、高低差があるん感じなのだが、ここ平地なので違和感を感じたのだと思う。
ただ、なんか微妙に寂れているなあ、と思ったら、実は閉鎖してたのね。知らなかった(って当たり前だが。)

国内初の本格的なワイン醸造場だった「牛久シャトー」(茨城県牛久市)内にあるレストランやワインショップが12月28日で閉鎖されることが決まった。ワイン醸造も打ち切る。

mainichi.jp
シャトーも閉鎖されているし、レストランは再開してたけど、売店に行っても、醸造所自体が動いてないので、他のところで作ったワインが売られていたり、なんだかとてもとても残念な感じ。
うーん。
確かに、博物館は興味を引く内容ではあるけど、醸造所自体が停止していたら、売りはあんまりないよなあ、っていう気が。とても立派な建物なのになんかもったいない。とは言っても、牛久でワインをわざわざ買うっていう人自体があんまりいないのかもしれず、それではどうしようもないなあ。今日本ワイン人気なんだけど、小さなドメーヌが人気なのであって、こう言った、大手に買収されたワイナリーではないのである。これでは今後寂れていく一方な気がしてならない。
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これは博物館の地下の画像である。
なんかよくわからんが、普通こんなの入れないと思うのだが、入れるのである。勿論樽の中身は空であるが。写真ではわからないかもしれないが、真っ暗なので、なかなか恐怖感がある。勿論だが、人はほぼいない。

鹿島神宮

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茨城は微妙、というイメージが私の中で確立しつつあるこの状況で、神宮に向かう。これも行っては見たかったが、なかなかここまで足を運ぶ機会がそうそうなく、というかとても公共交通では行きにくいんだよな。車ならいいかもだが。
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神宮は当然のようにとても立派であるし、鹿もいっぱいいて面白かったが…、実はこの時点で16時すぎてたんだけど、もうほとんど人いないのね。近くの人に聞いたら、16時超えるともう誰もいないとのこと。いくらなんでも16時は早いなあ、田舎かよ。田舎だけど。
http://kashimajingu.jp/guidance/境内案内/
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あ、この要石。
これが最初全然気づかなかった。まあ氷山と一緒、というのはわかるんだけど、これのせいで、地震が抑えられるほどの大きな石塊というイメージがどうしても湧いてこない。むしろなぜこれをそういう石塊と見做せることができたんだろうという方が気になった。勿論、昔掘り出そうとしたのは事実なんだろうけど、なぜ最初に掘り返そうと思ったのか、という方だ。昔の姿はまた全然違ったのかもしれない。

という感じで、最後までビミョーと思いつつ、茨城を後にしたのであった。