改革バカにならないコンサルはコンサルではない
ちきりんというコンサルタントの鏡みたいな人がいるけど、この前の大阪都構想の住民投票の時に改革バカっぷりを発揮していた。武雄市関係は言及してないと思うが
— 加野瀬未友 (@kanose) September 4, 2015
一言で言うと
コンサルは改革バカにならざるを得ない。
コンサルとは?
誤解が多いのだが、コンサルは「顧客が抱える何かしらの課題を解決する方策を提供」する仕事ではない。メインは過去の成功体験に基づくメソッドに落とし込むことである。その際に、問題点を白日の下にさらさないと意味がないため、勿論実施するが、その部分は後述する。
現場を無視して、というのはちょっと言いすぎだが、現場の意見を取り入れてその顧客に合った方策を取り入れる、というのはコンサルではない。第一、個人としては必ずしも「良く」なるわけではないからだ。個々人に感情移入なんてしていてはコンサルの仕事が成り立たない。
また、イノベーションを起こすことは、コンサルではない。というかコンサルには無理だ。コンサルは膨大なメソッドの中から当該顧客に当てはまるような状況を探し出すことが仕事なのであって、全く新規の事業構築を実施することではないからだ。*1
じゃあ何でコンサルは必要なのか?
顧客は自分では課題がわからないからである。意外でもなんでもないが、外部からの視点が入らないと問題点が自分たちではわからないし、例えば、対抗企業に問い合わせるなんてことが出来るわけがない。また社会情勢の変化やその他もろもろの所与の変化*2による問題は非常に気づきにくい。
コンサルのもうひとつの仕事として、「見えていることを気づかせる」ことがあげられる。大体の場合、どこかの数字にその課題のヒントは隠されているのだが、その意味が判別できないパターンのほうが多いと考えられる。そういった際にコンサルは役に立つし、他の顧客で問題解決したメソッドも提案してもらうことが出来る。
変化について
また、人間は変化にものすごく弱い。社会的にもそうである。何かしら今までとは変えようとすると反発が出る。コンサルのような仕事を、内部でやろうとすると、反対意見が物凄く出て収拾がつかないパターンが多々ある。ある種の「神の声」としてコンサルを使うのはそんなに間違ってはいない。
というわけで、コンサルは「現状維持」という選択肢はないと言い切ってよい。それでは高い金出して雇う意味がないし、そんなコンサルに依頼なんて来ない。よって、たとえ問題がなかったとしても、何らかの方策を提案できなくてはならない。*3
コンサルが胡散臭く見える理由
これは見せ方がうまい、というかうますぎることに理由がある。
netatama.net
ソフトバンクのグラフの見せ方はちょっとやりすぎだが、これがコンサルの真骨頂である。人間心理に訴えかけるように一目でわかり、且つ未来はよくなるように見える。しかも感覚的、つまり定性的ではなく、ちゃんと数値などに置き換えられるような定量的なものである。このグラフだって、別に間違ってはいない。単に強調しているだけである。ついでに一言言っておくと、コンサルが受けやすい誤解のひとつに、資料を都合の良いように捏造することがあげられるが、そんなことしたら信用問題になってしまう。そんな全ての顧客を失うようなリスクを犯してまでやるメリットはないため、絶対に捏造はしない。
なので、実は、コンサルは行動心理学など、人間の感情に訴える一連のテクニックに長けていなければならないが、それは詐欺師も同様である。なので、胡散臭く見えてしまう。
改革バカとは?
改革という言葉には「イノベーション」という意味がイコールであると考える人が多い。が、ほぼ全ての改革とはそんなにイノベーティブではなく、既にどこかで実践している内容の焼き直しである。ただ、その焼き直し内容について、見せ方だったり、規模だったり、他業種だったり、海外では実施済みだが日本では未実施だったり、とまあそういう部分が「改革」だと勘違いしているのであろう。
で、「改革バカ」とは恐らくは目的と手段が逆転して、焼き直し内容を提案することそのものが目的になっていることを指すのだろうけど、既に述べたとおり、「外部からの視点」を元に「顧客自身では気づかなかったこと」を提案し、「イノベーティブ」に見せる、というのはコンサルの仕事そのものである。なので、過剰かどうかはともかく、しょうがない。そういう生き物なんだから。