日記のような何か

http://tabelog.com/tokyo/A1302/A130203/13019482/
既報*1のとおり、先週ugnewsさんとしばさんでニューカヤバに行った。私は全く情報を持たないまま行っており、いったいどういう店なのかあまり把握しておらず、最初に面食らった。精々角打ち程度な店だと思ったら、そんなことはなく、すべてにおいて基本セルフな店なのですね。日本に他にあるとも思えず、なかなか面白い店だった。
ただ、1時間くらいしたら主に年寄り二人が疲れ始め、別の店へ。
ここでは色んな話をしたのだが、一番盛り上がったネットの話はあの人がきっと何かやってくれるだろうからそれを楽しみに待つとして、意外と戦後の話をみんな知らないんじゃないか、という話をした。

  • 60年安保と70年安保がごっちゃになっている。
  • 団塊以上の年寄りは普通にソ連が嫌い。ナチュラルに露助とか言ったりする。
  • 韓国も年寄りは嫌い。ネトウヨと違って、明確な理由もなく嫌いだが、表面上はネトウヨと一緒で逆に驚く。

とかそんな話をした。最近この辺の戦後の話に実は興味があるんだが、実際、1940年代後半から1950年代は結構カオスなんだよな。国鉄とか今の視点で見ると無茶苦茶である。

これはもっと後の1973年の映像であるが、これを見たら日本人は礼儀正しいとか絶対うそだろ、と思うね。暴動はそんなに遠い世界のものではない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E9%83%BD%E5%9C%8F%E5%9B%BD%E9%9B%BB%E6%9A%B4%E5%8B%95

1973年3月12日、高崎線上尾駅で順法闘争のため列車に乗れず駅のプラットホームには乗客5000人(!)もの乗客が取り残されていました。
高崎線の乗車率は400%(※ご指摘があり修正しました)に達し、列車に乗れない乗客達は怒り心頭のあまり、誰が言うとでもなく列車の運転席や駅長室を襲撃、破壊する暴挙に出たのです。
更に争乱は桶川、鴻巣、熊谷駅にまで拡大し、数千人もが参加する一大暴動事件にまで発展してしまいました。(上尾事件
(中略)
上尾事件の余韻の残る4月24日。
この日は27日から予定されていたゼネストに呼応してか特に順法闘争が強化され、列車は軒並み1時間30分前後の遅れが出ていました。
首都圏国鉄暴動事件は6000人もの人であふれていた赤羽駅でおこりました。
不幸にも信号機故障で列車がストップしたことがきっかけとなり、遂に日頃溜まりにたまっていた乗客の怒りが爆発したのです。

まず赤羽駅の駅長室に暴徒がなだれ込み、駅舎が破壊されました。
更にホームに停車していた京浜東北線が放火され炎上、この影響で京浜東北線のみならず並列する山手線までストップします。

そしてこのことは各駅のホームにあふれかえっていた乗客に決定的な一撃を与えることになりました。

赤羽駅の暴動の報が伝わると、上野駅新宿駅の乗客達が一斉に暴徒と化して駅を破壊、占拠。
更に暴動は忽ちのうちに首都圏の各駅に波及し、最終的に渋谷、秋葉原、有楽町など首都圏38の主要駅に拡大しました。
赤羽駅の暴動はわずか1時間あまりで首都圏の各駅に連鎖的に広がっていったのです。

この暴動に参加した暴徒の数は約3万2000人に達しました。

http://blog.livedoor.jp/archon_x/archives/5618957.html